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社長の想い

「大切な牛を失った13年前。岐路となった13年前」

いまから13年前、まだ私たちが本格的には能勢黒牛・能勢黒若牛の飼育へ専念出来ていなかった頃のことです。当時海外で口蹄疫が流行し、稲藁の供給がピタリとまってしまいました。その頃はまだ、「エシカルな循環」など程遠い牧場経営をしていた頃。だからこそ、牛の生命線とも言える稲藁の供給中止は、我々農家には致命的な出来事だったのです。
 

牛は良質な繊維がないと生きていけない生き物です。なぜなら牛は稲藁と穀物を食べ、胃の中でいわゆる“お酢”をつくり、消化吸収します。しかし稲藁の良質な繊維が足りないと逆に酢を作りすぎてしまう。うまく消化できず、自らつくった酸が体内にたまりすぎた牛は、消化に必要な微生物をも自ら殺してしまう。そして微生物が死ぬときに出す毒素は、牛の肝臓を攻撃し、腎臓も破壊し、遂には死に至る…。このままだと出荷できる牛がいなくなることは、火を見るより明らかでした。

稲藁の代わりの繊維質で、なんとか代用も試みたのですが、逆に火に油を注ぐ事態に。こうして大切な牛の何頭かを、泣く泣く処分せざるを得なかったのです。

「エシカルな循環で、強くてやさしい牧場を創りたい」

13年前の出来事をキッカケに、私たちは再び牛たちを育て直すだけではなく、「大切な牛を外的要因から守れる、自立した牧場でありたい」という思うようになりました。

それ以来、同時期にお知り合いになれた獣医師兼、畜産コンサル家の先生に専門的なアドバイスをいただきながら、牧場の立て直しにとりくむ日々。牛たちが胃酸の出すぎて胃もたれしていること、エンドトキシンの中毒にやられてしまっていること。牛たちの哀しい現状にも、獣医の先生と真正面から必死に立ち向かいました。同時に痛感したのは、稲藁の大切さ。「良質の稲藁を牛たちに届けよう。そして安定的に確保しよう」。悲願にも似た決意が芽生えたことを今でも覚えています。
ただ、自分たちで米を育てて、その稲藁を牛たちに満足できるだけ食べさせてあげようとすると、口蹄疫流行前に飼っていた規模(約130頭程)は、到底維持出来ないことがわかりました。きちんと循環させるために、良質の牛をきちんと育てるために。外部要因に影響されることなく、自分たちで完結させる牧場であるために。牛たちにも自分たちにも、やさしく強い牧場経営のため、試行錯誤の連続が始まったのです。

「和牛のルーツこと、能勢黒牛・能勢黒若牛の誇りを守りたい」

結果的に牛の品質が安定するまでには、約10年の月日を費やしました。なぜなら牛が育つ期間を待たねばならないから。約20か月の飼育期間、つまり2年近くを待ってからしか、確かな判断ができないのです。品質改善のために環境を変えたり、餌を変えたり、出荷タイミングを変えたり、様々な手を打つのも、黒若牛ならまずは最低9カ月、黒牛なら20カ月以上が過ぎてから。
ただそこまでしても守りたかったのは、エシカルな循環、そして強くてやさしい牧場。そしてもうひとつ強く守りたいと思ったのは、「能勢黒牛・能勢黒若牛」という、この街が守ってきたブランドでした。

その昔、この能勢の街からは、有名和牛産地に向けて、何頭もの肉牛が幾つも山を超え、届けられたといいます。いわば能勢の街は何百年も前から美味しい牛たちを育ててきたのです。
この伝統を途絶えさせたくない。この街で育った牛たちを、この素晴らしさを、声高らかに伝えたい。能勢黒・能勢能勢黒若牛を愛で、育ててきた私たちの切なる願いです。

最後に

どうぞお店で、ご自宅で、私たちの愛する能勢黒牛・能勢黒若牛をご賞味下さい。
出来れば、あなたの愛する人と一緒に召し上がってください。
しあわせな牛たちが、あなたと、あなたと大切な人に、しあわせなひとときをきっとお届けすることを、お約束いたします。
2018年1月某日
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